IIオーラルケア
誕生のきっかけ
日本人のほとんどが持っていた
「年をとれば歯は失われる」という考え。
それに対し、「歯は守れる」という事実を
スウェーデンでいち早く知ったのが、
オーラルケアを創業した大竹喜一です。
この章では、大竹の衝撃的な体験を紹介します。
スウェーデンで
“予防の父”アクセルソンと出会う
30年前の日本。エビデンスがあるきちんとした予防などなく、大人にも子どもにもむし歯が蔓延していました。歯医者へ行けば行くほど治療され、歯がなくなっていきます。多くの人は歯周病になり、60代になると歯を失い始めて、80歳には数本しか残りません。「なぜむし歯や歯周病になるのか」「どうしたら予防できるのか」を歯科医師も知らないし、当然、患者さんも教えてもらえない状況でした。
1987年。後にオーラルケアを創業する大竹喜一は、通訳の仕事でスウェーデンへ行くことに。カールスタッド市で、初めて会うアクセルソン博士の講義を受けました。大竹は講義に合わせてスライドを変える「スライド係」。そのとき、あるスライドが映し出されたのです。これこそが、1972年から始まった「成人に対する30年にわたる長期予防臨床研究」の15年経過後のデータでした。そこでは、カールスタッド市民のむし歯の罹患率が激減していたのです。
“むし歯が作られない!? この数字は本当か!?”
そのデータを凝視し動きが止まった大竹を、アクセルソン博士が次のスライドへと促しました。そのことにしばらく気づかないくらい、釘づけになっていました。
大竹は次のように振り返ります。
はっきり言って全身に稲妻が走りましたね。むし歯を、なんでこんなに発症させないようにできるんだ? と。アクセルソンはそこでは方法論は言ってないんです。ただ「減った」と言っているだけ。日本ではそんなのあり得ない。毎日歯を磨いてもむし歯は減らない。何なんだ、この差は?
どうしてもその理由を知りたい僕に、彼はありとあらゆるデータを出してこういうふうに下がってきたと説明してくれた。日本の歯科とアクセルソンがやっている歯科、同じ歯科医療でもまったく別物みたいな感じ。信じがたかった。
早速その日に町へ出て、子どもたちに口の中を見せてもらった。「口あけて見せてくれるかな? きれいかどうか見てみたいんだけど」って。見たらむし歯がないんです。あのデータが、子どもたちの口腔内が、脳から離れなかった。
大竹は、さまざまな想いを巡らせたまま日本に帰ってきました。
アクセルソン来日。
それは日本で予防が始まった日
スウェーデンで知った事実を自分の中だけに留めてはいけない。日本にアクセルソン博士を呼びたい。日本に彼の考え方を導入して、インパクトを与えたい。予防という概念の種をまき、普及したい……。大竹はアクセルソン博士の日本初講演に向けて動き出しました。最初はアクセルソン博士の説得です。「日本の現状はこう。日本を変えたい」「あなたの力が必要だ」。日本から、何通もの手紙をアクセルソンに送り続けたのです。そして、アクセルソン博士はその熱意に根負けする形で受諾しました。
東京を皮切りに、大阪、名古屋、長崎での開催が決定。1000人クラスの会場でしたが受講希望者が殺到したのです。
そして、ついに訪れた1988年4月3日。東京有楽町の読売ホール。集まった歯科医師と歯科衛生士は1100人。
「あなたの指が3分の1失われたとします。その失われた部分を金属で埋めるとしたら、あなたはそれを良しとしますか? そういう方がいるならば、手を挙げてください」
これがアクセルソン博士の第一声でした。誰ひとり手を挙げない中、次の言葉が放たれました。
「それでは、なぜ歯だけは良しとするのか? 歯には異物を入れておかしいと思わないのですか?」
長期臨床研究の圧倒的なエビデンスデータをもとに話される“本当の予防”。日本に初めて伝えられる歯科医院で行なうPMTC(プロフェッショナルケア)という概念。リスク部位の重要性。歯科衛生士の役割。患者さんが自己診断とセルフケアができる能力を身につけることの大切さ。これらをアクセルソン博士は日本の聴衆に教えてくれました。この日、日本で予防が始まったのです。
変わらない日本。
ならば自分がやるしかない。
オーラルケア創業へ
初来日講演以降、アクセルソン博士の講演会は2年連続で開催されました。東京、大阪、地方都市、いずれも満席でした。日本での予防の機運が高まり、ここから日本は正しい道に進み、スウェーデンの予防に近づいていく……はずでした。
講演会の後、日本の歯科界で何が起きたのでしょうか? 残念ながらまったく何も起きませんでした。「むし歯と歯周病の原因への理解」「リスク部位のケア」「セルフケアの教育」。これらがむし歯と歯周病の予防に必要であることが明確になったのに、日本の臨床現場ではほとんど成果を残せなかったのです。
講演会後の日本の状況を振り返って、大竹はこう言います。
講演会の開催で、僕は日本に予防の種をまいたと思った。受講した人はみんな「素晴らしい」と言っていたし、僕もそれを見ていた。これで日本も変わるだろうと思ったんだ。
でも、全然変わらなかった。つくづく思った。知識を得るということと、その知識を使って人を動かして世の中を変えていくことは、まったく別物。知識だけ得ても意味はない。「目的を持った知識の使い方」をしない限り、何の効果も生まないんだということがよくわかった。
日本は治療を繰り返し、それで生計を立ててきた。明日からもそうするだろう。
スウェーデンで聴いた講義と日本で開催した講演会が、オーラルケアが進める予防の原点。アクセルソンの臨床研究なくしてオーラルケアの方向感は出なかったし、何をしようという理念もできあがらなかった。
アクセルソンの臨床研究によって、間違いなくむし歯も歯周病も原因がわかった。予防方法もわかった。あとは誰がどうやるかということしかない。でも、「日本で予防を普及する」、こんなことをやろうと思う人間は自分だけだった。誰もやらないなら自分がやるしかない。
こうして設立されたのが、オーラルケアです。